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オリンピア・プレス物語―ある出版社のエロティックな旅 | 和書:Japanese books
あ゛ー。やっと解放された。ここ2ヶ月ほど非道なスケジュールの仕事に埋没しててたんですが、最後の方は体力が尽きて更新できませんでした。一月に26回終電なんてもう耐えられん。プライベートな時間を全て食いつぶされる。

今思えば、最初に作業の予定表を確認したとき、「これ、かなり夢を見てるスケジュールな気がします。完璧ノーミスな仕事をして、ぎりぎりの日程だと思いますよ」という懸念に、「じゃ、それで行こう」と、人の話を何も聞いてない上司のゴーサインが出た時点で、もっとゴネとくべきだったのですな。


さて本題。

オリンピア・プレス物語―ある出版社のエロティックな旅 オリンピア・プレス物語―ある出版社のエロティックな旅
ジョン ディ・セイント・ジョア (2001/09)
河出書房新社

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英語のポルノ小説を物色する中で避けては通れない出版社の一つ、オリンピア・プレス。

父親が起こした前身出版社のオベリスク・プレスから始まり、ヘンリー・ミラーの『北回帰線』、J・P・ドンレヴィー『赤毛の男』、ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』、ポーリーヌ・レアージュ『O嬢の物語』、ウィリアム・S・バロウズ『裸のランチ』、テリー・サザーン/メイソン ホッフェンバーグ協筆『キャンディ』等々のポルノ・前衛文学を立て続けに発行し、名声と悪評を一身に集めたアバンギャルドな出版社。今日では現代文学の一角に確固と刻まれているこれらの作品群も、この出版社が存在しなければ世に出なかったものが少なくはないだろう。

当時、性表現に対して厳格だった英国/米国に対抗して、法規制の緩いフランスで禁書を印刷し、海外派遣中で、娯楽に飢えているイギリス・アメリカの兵隊達を相手に商売する手法で業績を拡張。他の出版社が躊躇うような急進的な作家の受け皿となって近代文学に多大な影響を与え、不遇の才能に光を当てたオリンピア・プレス。その一方で、その遍歴は政府、保守論者、そして当の著者達との訴訟に塗れていた。そんな稀有な出版社の歴史を語る一冊。

まず登場人物の人となりが豪快。この本の主役、オリンピア・プレスの社長モーリス・ジロディアスの父親であり、出版社オベリスク・プレスを起こしたジャック・カハンの結婚話が、それだけで物語にすぎる。

1914年に戦争が勃発し、カハンは意気込んでドイツとの戦いに志願しようとした。彼は仏軍外人部隊への入隊を試みたが拒絶され、英国の近衛兵第一連隊への志願も同様だった。結局、軍隊の通訳として採用されたが、彼のフランス語はお粗末なものだった。(中略)イープルでは、まずガス攻撃を受け、次にドイツ軍の砲弾によって空中高く吹き飛ばされた。彼は肺とたくさんの歯を失ったが命は取り留め、残りの戦争期間を前線後方で過ごした。
カハンが未来の妻マルセル・ジロディアスに出会ったのはこのころだった。南フランスの海岸で軍隊の双眼鏡に映った彼女に目を止め、ぞっこん惚れ込んでしまったのである。彼は彼女が座っているところまで行き、おぼつかないフランス語で結婚を申し込んだ。彼女はそれに応え、二人は彼の休暇の日に結婚した。

そして、当時既にエディション・デュ・シェーヌ誌の創設者となっていたジロディアスの求婚エピソードはこちら。

1945年、ジロディアスは10年間の求婚の末、ロレット・ビュゾンと第六区の区役所で結婚した。(中略)ジロディアスは後に、この結婚は最初から、長いこと大切に育み、夢見てきた彼の情熱の輝かしい到達点ではなかったと告白している。ロレットはロレットで、彼と結婚する気はなかったと語っている。「私は彼に、彼のことを愛しているし、一緒に働いて手助けしたいと思っていると言いました。でも、妻としてという意味ではありません」
それならなぜ、彼と結婚したのか? 「だって、彼は私を嵌めたんですもの」 何から何まで奇妙なその出来事を彼女は笑いながら語る。

1944年12月、彼は私に腹を立て、結婚するか、さもなくば消えろと言いました。彼にはもう限界だったのです。私は「いいわ」と言い、エディション・デュ・シェーヌを去りました。でも、私たちはお互いが恋しくてたまりませんでした。彼は私の人生の一部だったのです。
そこで、私の義理の兄弟が昼食会を開き、私達を二人きりにしてくれました。モーリスは、また私に会えてどれだけ嬉しいかを語ったあと、言いました。「結婚しよう」 その日の晩、私は、結婚は無理だと言うために彼の家に電話をしたのです。電話をとったのは彼の母親で、彼女は、私たちが結婚することを聞いた、なんて素晴らしいんでしょうなどと、滔々と語ったのです。彼女のことを好きだった私には、結婚は無理だなどととても言えませんでした。何か起こるときというのはこんなものなのですね。彼女の息子と結婚する気はないなどととても言えなかったのです。まったくもって奇妙ですよね?

「奇妙ですよね?」じゃないって(笑)

なんつうか、親も親なら子も子である。ここにはとてもひとつひとつ書ききれないけれど、黎明期のオリンピア・プレスの作者達も、いずれ劣らぬ常識はずれっぷり。アンディーウォーホルを狙撃した犯人が実はオリンピア・プレスの作家のひとりで、本当はどうも社長ジロディアスを狙っていたらしい、というくだりまでくると偶然の悪戯に絶句するしかない。というか、ウォーホルもそうだけど社交関係広すぎ。当時の芸術家達は大概どこかで繋がってるような気がするなあ。

数多くの"注目作"を世に発表し、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いのオリンピア・プレスであったが、皮肉にも、言論封殺に対する反抗を命題としていた同社の経営は、英米の文章検閲が緩くなるに従って傾いてゆく。作家が自分自身の言葉を自由に表現できるようになっていくにつれ、わざわざ危険な内容の書物を好んで引き受けるような反骨出版社の必要性は薄れていった。そこに規制があったからこそ、他に才能を表現する場のない天才達が数多く集まる環境が生まれたのだ。

華美かつ放漫な劇場経営の失敗と、終わりなく続く訴訟の果て、オリンピア・プレス社は倒産。競売にかけられた社を競り落としたのは、全盛期の社を代表する作家であり、後に『赤毛の男』の版権を巡ってジロディアスと対立、法廷抗争中のドンレヴィー夫妻であった。

今やポルノ小説は禁忌でもなんでもなくなり、オリンピア・プレスの本も古典名作として、Amazon経由で普通に買えるようになった。作家の想像力を縛る鎖が消滅した代わりに、ポルノは大衆の消費物となり、かつての前衛作家達が生み出し、そして使い古された表現が繰り返し用いられ、産業としての円熟を見せている。ただ、あるいは、一流の作家が、ひたすらに新しい表現を模索して真剣にポルノに取り組んでいた時代、猥褻と芸術文学が混ざり合った混沌の時代は、ある意味貴重で贅沢な一時だったのかもしれないな、と、この本を読みながらちょっと思った。
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【2007/10/01 21:02】 | トラックバック(0) | コメント(0) top↑






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